マスコミの社会的影響力を考えるとある程度の批判は仕方なかろう

「保毛尾田保毛男」批判に、フジ・宮内社長が謝罪

フジテレビが同社の番組内で同性愛者を茶化すキャラクタを登場させたことにより批判を浴び、社長が謝罪するにいたったとのこと。

ただ、当時から「保毛尾田保毛男」をはじめとした同性愛者を揶揄するようなキャラクタが存在し、それがある一定の同性愛者に対する偏見に結びついていたことは言うまでも無かろう。今はInternetの普及で同性愛者に関する情報も容易に入手できるようになったが、今から20年以上前のInternetが普及していない時代にそういった情報を入手することは知り合いに同性愛者がいない限りは大変難しいことであったと思われる。

仮にいたとしても同性愛者もそう口にすることは無い以上、当事者でも無い限りは同性愛や同性愛者に関する正確な情報を把握することは相当難しいことであろう。そういう時代背景を考えると、マスコミが伝える情報の影響力というのは極めて大きいと言え、そういった偏見による誤った情報から同性愛者に対するイメージが形成されていった可能性は極めて高いと考えられる。

今でもそうであるが、特にこの企画が本格的に放映されていた時代に子供であり、その頃に同性愛者や女性的な男児がそういった表現や偏見を基に場合によってはいじめにあっていたことを考えると、衛星放送の有料チャンネルで放映される過去の番組のように注意や警告もなしに、そもそも全年齢ありとあらゆる人が視聴する可能性の高い地上波でこのネタをいまさら持ってくることは明らかに問題があるのではないだろうか。

まだ同性愛者に対するイメージが一変し、それを国民に正しく理解されている状況であればこのコンテンツは「コメディ」と言えると思われる。だが、今日のわが国において同性愛者に対するイメージは前述の通り正しい情報が伝わることで変わってきてはいるものの、一方で今でも前述の「保毛尾田保毛男」のようなイメージを持っているような人も数多いと思われる。

そういう社会的情勢を判断するとこの件は単純に同性愛者を茶化す目的で作られたコンテンツと言えないわけであり、放映の際にはある程度の批判が出ることは当然であろう。

それ以前に、自分自身が今回の件の「同性愛者」になりえる可能性というのは極めて高い。現実に起こっていることであるが、福島県民に対する原発事故がらみの差別や偏見は5年以上経った今でも続いており、農作物の輸出規制や買い控え、今なお続く風評被害などその経済的な影響というのは計り知れないものであろう。

その原因もある意味「正しい情報が流れない」ことから起こっている部分も大きいわけであり、そう考えると短絡的な思考や政治的思想、そして恐怖から生まれたデマを流した者やそれを拡大した者にもある一定の責任を問うべきではないのだろうか。

特にマスコミに関しては今は落ちてきてはいるものの、世間に与えるその影響力というのはまだまだ大きいものがある。そして芸能人もある意味その影響力で報酬を得ている部分というのは存在する以上、その一定の責任というのはなおさら追及されるべきなのではないだろうか。

そう考えると、今回の件でフジテレビが謝罪に至ったことはある意味賢明な判断と言えるかもしれない。

そして、この件を表現規制の問題点と絡めて反対する者もいるかもしれないが、自分自身が仮に福島県民のような立場になった場合でも同じことを言えるのだろうか。

私も行き過ぎた表現規制には反対であるが、一方で「表現の自由」を野放しにすることで福島県民や過去の朝鮮人、同和問題のように生命や財産の危機に直結したり、2ちゃんねるやそこから出てきた某カラ民みたいな外野から殴られることなく嘲笑や嫌がらせをコンテンツとして楽しめるような環境が私は決して健全であるとは思えない以上、無限に表現の自由を認めるということにも手放しで賛成することは出来ない。

そのため、すべての表現規制を撤廃することにもまた反対であり、この件を批判した同性愛者団体を表現の自由に対する敵であるとして批判することも出来ないわけである。

もちろん、この件を封じてしまうことによる表現の幅の問題というのもあるかもしれないが、それに関してまず批判するべきはその表現を批判した者ではなく、嫌がらせや嘲笑に頼ることでしか娯楽コンテンツを作れない今回のコメディアンみたいな娯楽業界や番組製作に関わったテレビマンではないのだろうか。

ちなみに、同社はある意味人の不幸を喜ぶような番組も作っていたりする以上、昔から嘲笑や嫌がらせをコンテンツ化する傾向が強いこと、そして、マスコミの影響力という点から考えると前述の通りそういったコンテンツが同性愛者に対する偏見に結びつく部分をある意味で作りだした可能性が極めて高いことから、セシウムさん事件でも指摘されたようにその社会的責任として偏見を取り除くような番組を作っていく必要があるのではないかと思われるが、現状フジテレビがそういった番組を制作しているようには見えないことも今回の批判に行きついた原因と言えるかもしれない。

そういうわけで、私は現在の社会情勢を垣間見ず、そういった表現を「面白い」と思って持ってきたフジテレビに対して正直怒りよりも「呆れ」という気持ちのほうが大きいわけである。戦中の大本営発表や過去の王シュレット事件、関連会社のあるある大事典捏造事件や前述の「セシウムさん事件」から同社は一体何を学んだのだろうか。

平成29年10月11日 0時45分追記

LGBTの人々は「被害者面」してるのか?(駒崎弘樹) – 個人 – Yahoo!ニュース

例えば、自分が農家や食品製造で生計を立てていたとして。

新潟 139km

自分の住んでる同じ県の遠く離れた町で公害が発生し、その公害が発生した町で製造されている農作物が汚染されたら。現実に新潟県の上越から下越まで100km以上離れているわけであり、それは大阪から彦根や播州赤穂までの距離以上に相当し、東京基準でいくと熱海や宇都宮までの距離以上に相当する。

そう考えると上越から下越まではかなり離れているわけであるが、例えば新潟県の下越で発生した公害が上越に影響を与えるかと言えばそれは到底考えられないことであろう。

そういうわけで、自分の住んでる街で製造されている農作物の安全性はきちんと確認されているにもかかわらず、マスコミが公害の発生した街の情報やその街が所属する県の名称ばかりを流すがために自分の住んでる街の農作物が売れなくなり、場合によっては廃業せざるおえなくなるなどの風評被害を受ける可能性は極めて高いわけであるが、それに対して正しい情報の提供をマスコミに求めるのは当然の話であろう。それが前述の「セシウムさん事件」なのではないだろうか。

そこで、同じようにマスコミは同性愛者をはじめとしたいわゆる「性的少数者」に対する正しい認識を持たせるような情報を視聴者に提供し、それを周知してきたかと言えば決してそうは言えないと思われる。マスコミが同性愛者をこぞって取り上げるときは娯楽番組におけるあくまで色物やピエロとしての枠であり、その取り上げ方もまたいわゆる「オネエキャラ」や「レイザーラモンHG」、「はるな愛」、「マツコ・デラックス」のような一部の変わり者や変態、その変態を異様に茶化したようなキャラクタとして取り上げられていたことは言うまでもなかろう。

一方で、本当に自分の性別に悩み、性転換を受けるなどし、現在自分が望む性別で世間に溶け込んでいるような人は芸能界にも山ほど存在するものの、彼らは基本「テレビ的」に「面白くない」とされ目を向けられることはない。

つまり、今までテレビで取り上げられていた同性愛者をはじめとしたいわゆる「性的少数者」に関しては一部の変わり者が中心であり、これは「保毛尾田保毛男」がテレビで放映されていた30年前からまったく変わってはいない。私は20年以上前のテレビをほとんど知らないが、状況が今よりもひどいと考えると容易に推測がつくと思われる。

つまり、マスコミは前述の通り同性愛者をはじめとした「性的少数者」に対する一方的な偏見やデマに基づくような情報を流し続けていたわけであるが、そこはきちんと批判するべきではないだろうか。何回も言うが「次は自分が当事者になる」というのはそういうことである。

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