1990年代よりも今のほうが圧倒的に多様性に富んでると思うけど

80年代サブカルが統治する今の日本は、90年代サブカルが大衆メディアをジャックする世界一薄っぺらな国 – Togetterまとめ

息子が「90年くらいに生まれたかった。90年代の雰囲気が好きだ」と言うので90年代に不可欠なある人物の名前を挙げたところ… – Togetterまとめ

90年代

エトワール・ラズリ@撮影係 @Hosino_Lazuli 6日前
社会が絶対で少しでも疑問定義すれば即座に犯罪者予備軍扱い、奇抜なことをすれば変人。 路上は時代を反映するかのように、吐き捨てられたガムが大量にへばりついてて、先生はみんな左巻き。 口答えしようものなら殴られる、でもその暴力を咎める人はいない。 こんな時代だけど、良い?

90年代_1

は し ろ う @Sutekase_King 6日前
主流以外は全部亜流とされた時代だよ

とあるアニメ音楽を歌っている歌手が高校生の頃にいじめにあっていたらしいが、彼女はパソコン通信で自らの居場所を見つけたとされる。

もちろんその時代にパソコン通信はおろかパソコン自体も人々に浸透していたとは言い難く、当時は彼女のように遠く離れた場所に住む人と容易にやり取りを行うことはとても考えられなかった。それが今では当時のパソコン以上の性能を持つ端末が手のひらに存在し、そこから全世界にアクセスできるようになった。

それのおかげで情報の入手が容易になることによって雑誌の価値は下落し、マスコミが報じる以外の情報や専門家の見解も容易に入手できるようになり、今まではマスコミが隠していたような情報に対する批判というのも高まるようになってきた。もちろんマスコミが報じる以外の情報や作り出す流行を支持するということも世間一般から認められるようになってきた。

他にも、個人で情報を発信することが容易になり、今までは日の目を見るようなことが無かったコンテンツも注目を浴びるようになってきたことも忘れてはならないと思われる。

そう考えると、90年代以前から比べると現在のほうが圧倒的に多様性や思想良心の自由、表現の自由が認められるようになってきたとも言えるわけであるが、なぜおじさんは主流以外が認められない時代に戻そうとするのだろうか、それは逆におじさんの主張する「多様性」という側面から考えると真逆のことを行っているのではないのか。

4 Comments

  1. 初コメ失礼。

    >90年代以前から比べると現在のほうが圧倒的に多様性や思想良心の自由、表現の自由が認められるようになってきたとも言えるわけであるが、なぜおじさんは主流以外が認められない時代に戻そうとするのだろうか

    それは恐らく、90年代は日本企業がバブル経済の影響もあってまだ元気だった時代であり、
    同時にまだ日本がモノ作りで食っていけた時代だから。
    現在はと言うと、海外製品が周りに溢れており(iPhone、外車(BMW,Audi,Mercedes,Volkswagen)、WindowsPC等)梯子を外された人はどうあっても貧しくなる。(→相対的貧困の発生)

    今の若手(80年後半~90年前半産まれ)は日本企業が元気だった時代を知らないから、
    元気だった90年代に憧れているんだと思う。

    • 私も一説によると「緯度おじさん」と呼ばれている人の年齢とさほど変わらない可能性が高いため、また私も物心ついたときにはすでにバブルが崩壊しており、感覚的には「団塊の世代」と呼ばれる人々にとっての第二次世界大戦や焼け野原からの復興とさほど変わらない、すなわち近い過去ではあるものの歴史上の出来事であると言えるでしょう。

      確かにこの時代の日本は言うまでも無く好景気であり、元気であったともいえますが、常日頃から「多様性の尊重」を望み、自身がリベラル側についていると考えるのであれば「多様性」や「個人主義」、「法令順守」という概念がそれなりに浸透した現代の社会を評価することも必要でしょう。

      ライフスタイルにしても自動車をはじめとした所有物がステータスシンボルとなっており、消費文化に飲まれずに生きていくことは困難といえましたし、まず今の「ミニマリスト」のような人が存在することは極めて困難であったことでしょう。
      ちなみに、緯度おじさんは地方のライフスタイルを「消費文化に飲まれる以外の娯楽が無い」と批判していますが、なら所有物がステータスシンボルとなっていたバブルの時代はなおさら批判するべきではないでしょうか。
      前述のミニマリストに代表されるような「24時間戦えますか」ではなくほどほどに働いてゆったり生活するというライフスタイルが認められるようになってきたのも「多様性」や「個人主義」が浸透した賜物と言えるのではないでしょうか。

      娯楽にしても「飲む買う打つ」一辺倒であった時代であり、成人がアニメやゲームを楽しんでいるとはおおっぴらに言えなかったものの、今では電車に乗れば普通に携帯電話でゲームを楽しんでいる人が山ほどいます。
      他にも、学校における体罰や労働法違反に関する事例が大きく取り上げられるようになってきたのも「法令順守」という概念が人々に浸透していった結果と言えるのではないでしょうか。

      > 現在はと言うと、海外製品が周りに溢れており(iPhone、外車(BMW,Audi,Mercedes,Volkswagen)、WindowsPC等)梯子を外された人はどうあっても貧しくなる。(→相対的貧困の発生)
      「絶対的貧困」に陥っていない以上マシとは言いませんが、たとえ相対的貧困の範囲内であったとしても公的扶助が機能しており、本人が拒絶しない限りは清潔かつ健康的で安全な環境で生活でき、さらには娯楽もある程度楽しめる以上、今の日本社会で最悪死ぬことは無いと考えると他国と比較しても相当恵まれてると言えるのではないでしょうか。
      まだまだ先進国や中進国であったとしても貧困層が生活するようなスラム街においては不潔かつ危険な環境で生活せざるおえない状況が続いていたりするわけですから。
      しかも、路上生活者であっても新聞や雑誌が読めるほど教育水準もきわめて高いわけですし。

      そう考えると、ある意味現代社会は昭和末期から平成初期のバブル時代と比較して精神面でも相当生きやすくなったと私は考えています。「あの時代と比べて」と悲観視するのではなく、確実によくなっている部分もあるわけですから、日本がそれなりに立ち直れるチャンスというのはまだまだあるでしょう。
      まだまだ日本の技術に関しては世界が追い求めていたりします、鴻海がシャープを買収したのもまさにそういうことでしょうし、今世界を圧巻しているiPhoneもそのエコシステムのお手本はiモードにあると言われています。

      > 今の若手(80年後半~90年前半産まれ)は日本企業が元気だった時代を知らないから、
      > 元気だった90年代に憧れているんだと思う。
      このように、今でも日本は世界が求めるような技術や概念、仕組みを生み出せるわけですから、国民がそれを理解し、前に向かって進み、かつそれを活かせるような社会システムを作れば近い将来、バブル期ほどにはならないかもしれませんが、再び「元気な日本」に立ち戻ることは出来るでしょう。

      • 遅れましたが、忌憚のないコメントに対しての返信有難う御座います。
        さて、気になった点が1点だけ。

        >国民がそれを理解し、前に向かって進み、かつそれを活かせるような社会システムを作れば近い将来、バブル期ほどにはならないかもしれませんが、再び「元気な日本」に立ち戻ることは出来るでしょう。

        ボンちゃんの世代(ゆとり)の結婚生活って知ってる?
        自由に使える金が月々10000円(俺の高校時代の金額と同じ)、これはまだいい。
        問題は以下。
        飲み会ダメ、酒飲んだらダメ、残業ダメ、午前様ダメ、残業ダメ
        有給とれ、家事半分以上やれ ですよ。

        言っておくが、オタバッシングがあった90年代は自由に使える金額が
        8万、10万とかザラだったんだぜ。(しかもボーナスも結構多かった。)

        腕時計もないしパソコンもない。可哀想過ぎる・・・。
        そんなうっぷんを晴らすためにスマホでおっさん叩き独身叩き
        更に会社で使えない社員をイジメてストレス発散してるんだぜ。

        他にも金はいいとか言ってたガテン系でも今じゃ年収200万円代だからな。
        この国で結婚しても大半の男は一生貧困だよ。
        (だから会社内や身内でも、あと1~2年で日本脱出する話をよく耳にする。)

        これでどうやって「元気な日本」にしろと・・・。(^O^;)

        • すなわち、バブルの時代が異常であったということでしょう。

          今まさに、日本で言う高度経済成長期からバブルの時代を迎えているアジアの後進国や中進国は別として、欧米先進国であっても日本のバブル期並の生活水準を維持してるような国はほとんど無いでしょう、言うまでも無く、イタリアにおいてもフェラーリは高級車の扱いですし、それに匹敵するような高級車がバンバン走り回っていたということは前述の通り「異常な時代」であったと言えるでしょう。
          確かに、経済政策の失敗から賃金水準が低下したという主張そのものを否定するわけではありませんが、「異常な時代」と今を比較したところで比較にならないのは言うまでもないでしょう。

          それと、いまや時計にしても、生産加工手段ではなく情報を消費する手段としてのパソコンにしても、ゲーム機や音楽プレーヤー、テレビ、雑誌など各種娯楽のための手段にしても、もちろん通信手段にしても携帯電話一台で済んでしまい、それで楽しめる娯楽の選択肢も広がっているわけで、わざわざ用途別に複数の機器を所有しなくても済むわけですし、自動車にしてもそれに乗ってドライブへ行く程度の娯楽しか無かった時代と比較して今では前述の携帯電話で楽しめる娯楽が山ほどあり、逆に都市部においては自動車を維持管理すること自体が不便な状況になってるといえる以上、必然的に物質への欲求は低くなっていくことでしょう。

          つまり、バブルの時代から比較すると「正常に戻った」というだけで、私は落ちぶれてはいないと考えています。ただ、前述の通り「経済政策の失敗」という側面を見て「日本経済はある程度回復できるのではないか」と予測しているだけです。

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